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少し離れて見たライオンズ | |
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第9代会長 L. 舘 山 諄 一 | |
第9代会長として、前会長、幹事、会計に助けられ会員の皆様の善意に満ちた協力に支えられて、任期を終えることが出来たことを、今更の様に感無量のものを覚えます。 僅か一年前のことであったのに、記憶も薄らいで行く中から、任期中に成し得たこと、意を持ちながら実行出来なかったことなどを、整理しながら辿ってみたい。 時のL中山ガバナーに、新会長として10名の会員増強を約束申しあげ結果的には入会20名退会5名、実像15名の会員増強ができた。次期ガバナーL鍵谷に面目を施し、責任を果たし得たこと。 札幌での第27回地区年次大会で、7つものガバナーアワードを頂戴し嬉しかったことと、各委員長Lの努力に敬意を表し感謝を申しあげたいこと。 年次大会晩餐会の後、パークホテルの地下のクラブで、L鍵谷夫妻をお招きしてガバナーエレクト就任祝賀会を開催、「長い長い苦しい一日であった」と鍵谷ガバナーエレクトのご挨拶と、力強い抱負を拝聴したこと。 すべてが一年前の出来事にも拘らず、遠い昔のことの様に霞みがちなのは、何の故にか。 目まぐるしく変わる厳しい世相の中にあって、その対応に気を取られ過ぎているせいかも知れない。 家族的にも、遊学させていた子供2人が帰って来て、それぞれの生き様を決めなければならない時期となり、身の回りが慌ただしくなったせいかも知れない。 今10周年を迎えるにあたり、身辺の繁雑にかまけてクラブ例会にも欠席がちになる状況の時、少し離れてLCのあり方を、今一度冷静に考えて見たい。 65年前、アメリカにLCが出来た時の原点というのは、どのあたりにあったのだろうか。 シカゴの保険屋であったメルビン・ジョーンズが、世間を見渡した時感じたものは、何であったろう。経済恐慌と酒の密造そしてアル・カポネを中心にギャングの横行していたシカゴ。人々の生活は荒れ放題、その社会の谷間で苦労を強いられる人々。社会秩序の退廃とインフレ経済という両刃の剣は、もろに人々の社会生活を窮迫する。その窮迫された生活の暗黒の谷間で、病魔に取憑かれる老人や子供、身体の自由を奪われた障害者が、街に溢れていた。 この人々のために「一人一人が小さな親切を持ち合って、この気の毒な人々を、もう少し明るく陽の当たる場所に誘導してあげられないだろうか」と。 これがLC創立の頃のアメリカであり、LCを孕んだ原点と言えるだろう。 第2次世界大戦、そして敗戦というどん底の生活を国民に強いた悪夢は、現在の日本の何処を歩いても残ってはいないだろう。 昭和27年3月、フィリッピン、マニラLCのスポンサーにより東京LCが誕生した。言葉の違い、宗教の違い、東洋思想の蔓延する日本に、例え敗戦という致命的な方向変換があったとしても、これだけのLCの隆盛を誰が予期したであろうか。 しかし額面通りにLCを受け入れた付は次第に回って来たと私は思う。 同じC会員でありながら、考えの違いやライオニズムの本末転倒が随所に見られる。元来「Lと呼ばれる人」は、温かい心で労力と時間と財力を注ぎ込み、気の毒な人々の為に献身的作業服を着る人であり、「温かい心と行動力」を持つ者なら充分で、社会的地位や財産の有無も必要であるまい。ボス的存在も「並び大名」の名誉職意識もライオニズムの前には、無用の長物でしかないだろう。 LCが日本に誕生した時の、謙虚な心に日本の全てのLは戻るべきだと私は思う。 クラブ会長を満了し、キャビネット役員を満了しても、一Cに於いては当然のようにCの一員として、時の三役の意を介し委員会活動に参加するなど朝飯前、という考え方を特に大切にしたいと思う、10年目の節目である。 |
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(CN10周年記念誌より) |
昭和55年(1980.7〜1981.6) | ||||||||||
役 員 | 会 長 | L舘山 諄一 | ||||||||
第一副会長 | L岩下 達企 | 第二副会長 | L猪口 満男 | 第三副会長 | L久水 隆夫 | |||||
幹 事 | L定蛇 隆平 | 会 計 | L大間 道夫 | |||||||
ライオンテーマ | L川口 隆英 | テールツイスター | L鍛冶 昇 | |||||||
一 年 理 事 | L目黒 利幸 | L吉田 有志 | L楢館 昭造 | L菅田 義行 | L川村 雅彬 | |||||
L下出 敏幸 | L小野 泰男 | L松村 敬一 | ||||||||
二 年 理 事 | L広田 忠親 | L太田 元三 | L松浦 久三 | L斉藤 光弘 | L近藤 耕司 | |||||
L菅谷 司 | L黒田 栄 | L斉藤 保 | L森元 譲一 | L植田 隆一 | ||||||
会 計 監 査 | L渋木 久美 | L武田 修幸 |
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アクティビティ | 55.7 | ブラジル親善訪問。 チャリティゴルフ大会景品作り、会長杯、益金社会福祉事業へ。 交通安全市民パレード。 全国アイバンク推進協議会年会費。 北海道献眼運動年会費。 | |||||||
55.8 | 第7回老人オリンピック。 車椅子身障者レクリューション手伝い。 | ||||||||
55.9 | 古タイヤ回収し各農協へ700本贈呈。 北海道献眼運動助成。 | ||||||||
55.10 | ライオンズデー交通安全。 赤い羽根募金運動。 空缶・ゴミ拾い。 第6回市民水泳大会協賛。 | ||||||||
55.12 | はしだのりひこショーを行い一部益金をNHK歳末助け合いへ。 光が丘学園の子供達を招く。 会員が品物を持ち寄りクリスマス例会でオークションを行い歳末助け合い基金として岩見沢市へ寄贈。 | ||||||||
56.1 | L.CIF基金。 | ||||||||
56..2 | 青少年育成。 老人クラブへ手ぬぐい200本贈呈。 | ||||||||
56.3 | 少年野球連盟に優勝旗・優勝カップの贈呈。 古新聞・古雑誌を回収しトイレットペーバーに交換光が丘学園へ寄贈。 社会福祉委員会、税務署へ古切手切り。 歯ブラシ・歯ミガキ、パンフレッド300組緑成園に寄贈。 古切手収集に対して税務署、協力学校に図書券、感謝状贈呈。 岩見沢盲人センターにカセットデッキ2台寄贈。 社会福祉委員会事業30周年記念映画協力。 健康診断。 | ||||||||
56.5 | 植樹奉仕。 |
ACT合計金額1,789,110円 | 労力346名 時間1,437時間 古切手281,883枚 献眼登録5名 古タイヤ700本 |