クラブのあゆみ
1 1972年 2 1973年 3 1974年 4 1975年 5 1976年 6 1977年 7 1978年 8 1979年 9 1980年 10 1981年
L竹内 四郎 L木村 伸男 L武田 修幸 L栢工 幸次郎 L黒田  栄 L金子 昭夫 L渋木 久美 L荒井 照正 L舘山 諄一 L岩下 達企
11 1982年 12 1983年 13 1984年 14 1985年 15 1986年 16 1987年 17 1988年 18 1989年 19 1990年 20 1991年
L猪口 満男 L久水 隆夫 L笠原 喜平治 L川村 雅彬 L大間 道夫 L定蛇 隆平 L松村 敬一 L石塚   昇 L菅田 義行 L藤本 新一
21 1992年 22 1993年 23 1994年 24 1995年 25 1996年 26 1997年 27 1998年 28 1999年 29 2000年 30 2001年
L楢館 昭造 L吉岡 靖雄 L斉藤  保 L石川 次郎 L寺江   博 L鍵谷 隆一 L三崎   勉 L道下 将秀 L福島 一博 L上山 和夫
31 2002年 32 2003年 33 2004年 34 2005年 35 2006年 36 2007年 37 2008年 38 2009年 39 2010年 40 2011年
L柏崎 昭朗 L安丸 定男 L鈴木 哲廣 L仁志 正樹 L溝口 裕信 L九津見紳一朗 L松浦 淳一 L千葉 嘉男 L竹内 文英 L植田 淳一
10年を顧みて 
第7代会長  L. 渋 木 久 美
 1975年、元旦の計の中に、7月からのクラブ幹事就任の構想があった。第3代会長L武田修幸の時である。ところがお屠蘇気分の覚めやらぬ1月2日、幹事の谷田Lが病気、入院、副幹事がその代行をすることとなった。これは一大事と心配したが、理事会決定では止むを得ず覚悟を決めた。幸いに2代会長の木村は、前のクラブで同じ日に入会した因縁もあり、何とか手を取り足を取り導いてくれるものと期待をした。
 その頃岩見沢C、岩見沢中央Cでレオクラブを作ろうという話が進められていた。3代会長武田Lに引継がれ両クラブの話し合い、又C例会での説明など種々論議された仲々諒解の線には行かなかった。しかし岩見沢Cでは着々と話が進み結成に賛同を得ようという打ち合わせになった。今にして、私の頭の片隅に一寸強引過ぎたのではという反省の念も時として去来する。
 キャビネット会計という大任を仰せつかった時、今またその大任を果たした後、過去を振りかえって今後のレオクラブを考える時、そしてまた諸般の事情を鑑みる時、一脈の寂寥を感ずるのは一人、私だけであろうか。レオ、彼等は千尋の渓谷に突き落とされ、そこから出発する現社会状勢の運命を負わされている、と。
 1978年〜79年会長に就任。私が会長就任の前期は、チャーターナイト5周年があった。会員の一息つきたい雰囲気を感じ、何とか例会のムードを変わったものにしなければと、幹事の植田L、会計の久水Lと相談した。結果、先ず例会ごとにアルコールを出し、気分さわやかな楽しいムードづくりをと考えたのであった。が、反対に酒の嫌いなメンバーのことも考え、飲む会員は、水割り1杯100円でご購入頂くことにした。それが好評で10年を迎える。今日、まだ続いているばかりか暫らくは止みそうにもない。スポンサーが新入会員に水割りをサービスする目は、本当に美しいと私は思う。
 わがCの植樹ACTは、5周年を一つのクギリとし、10周年記念を目指して、又々継続ACTに決定したのであった。どのようにすべきか模索中であったところ、岩見沢市が北区に新しい公園作りを決定している、こんな情報を耳にしたのである。早速担当委員長と相談し詳しく調査をした。結果間違いないと確認、春5月上旬、樹の寄贈者も現れ、全員揃って新公園(あさぎり公園)に植樹を開始、今日まで毎年続行しているのである。
 またわがC結成翌年に金子Lが提唱した献眼運動も、種々の見聞を拡め委員会を設けて、本州の先進地に足を運ぶなど、一歩また一歩と、運動を続けていたのであった。私も上田市で開かれた献眼運動全国大会に参加、大変に素晴らしい奉仕であることを悟った。しかしこの運動は時間が必要であることも痛感した。1年1年積み上げて今後10年、20年の歳月をかけても北海道全域に拡めることを目標とすべきだと決心したのであった。クラブの予算も計上するなど、全員が燃え続ける原子の炎のように一丸となっていたことを思い巡らす。
 とまれ、私には終生忘れられない想い出がある。同じCのメンバーであり、例会、ゴルフ同好会、麻雀同好会等でいつも笑顔を絶やさず物静かな「大人」と呼ぶにふさわしい人、今わ亡きL野崎昭三のことである。軽い病気で北大病院に入院されたとき、見舞傍々御機嫌伺いに病院へ行った。暑い時であったが、ベットの上で一生懸命に何かを書いており挨拶をすると何時も笑顔で迎えてくれた。よく手元をみると書中見舞の葉書に好きな絵を書いていたのであった。一日も早い全快を祈り続けていたのであったと思う。しかし翌年の正月には、幽明境を異にしたのである。現身のげに無情なりしを、岩見沢中央LCの会員は恨んだ。ご当人の生前の意志と奥さんとの協力でC初めての献眼者となったのである。
 この献眼によって、私達の進めている運動が一挙に盛り上がり、6月には北海道献眼運動推進協議会結成準備会議を開催したのであった。
 前国際会長の村上Lが献眼運動推進を説き日本レベルの委員会が設置された。我が金子Lが、331複合の初代委員長に任命された。
 まさしく一本の光が10年の歳月を経て今日に致ったことは、中央Cの一会員として感無量のものを覚え、同時にこれを誇りに思うのである。厳しい世相なるが故に愛は求められ、愛はうつろいで行く。しかし愛は不変だと私は信じている。すなわち愛はライオニズムのターゲットだからである。
CN10周年記念誌より
昭和53年(1978.7〜1979.6)
役  員 会     長 L渋木 久美
第一副会長 L荒井 照正 第二副会長 L舘山 諄一 第三副会長 L岩下 達企
幹     事 L植田 隆一 会     計 L久水 隆夫
ライオンテーマ L石田  盛 テールツイスター L斉藤  保
一 年 理 事 L川村 雅彬 L成田 広信 L楢館 昭造 L鍛冶  昇 L川口 隆英
L近藤 耕司 L松浦 久三 L猪口 満男 L吉田 有志
二 年 理 事 L藤本 新一 L栢工 幸次郎 L定蛇 隆平 L菊井 義高 L小野 泰男
L森本 譲一 L武田 修幸 L辻口 敏夫
会 計 監 査 L黒田  栄 L菊池 文男
アクティビティ 53.7 社会を明るくする運動参加。 
53.8 アンドンパレード参加。 夏祭り参加医療班設置。 青少年育成。 北海道水泳大会に協力。 第6回チャリティゴルフ大会(岩見沢L..Cと合同)カップ寄贈。 チャリティゴルフ大会益金で老人センターへ楽器寄贈。 第5回老人オリンピック大会。 
53.9 身障者スポーツ大会協力金。 市民水泳大会協賛。 交通安全パレード参加。 
53.10 ライオンズデー空缶拾い。 赤い羽根募金運動。
53.11 市のアサギリ公園にアカシヤ大木寄贈。 移動展に協賛。 老人クラブへ第5回老人オリンピック大会アルバム寄贈。 全国アイバンク運動推進総会。 古新聞、古雑誌、古タイヤ回収、益金でトイレットペーパーを光が丘学園に贈呈。 
53.12 全会員より品物を持参オークション、益金を市へ寄贈。アイバンク運動推進特別委員会スライド作製。
54.1 献眼摘出お礼。 L.IF寄付金。 第3回アイバンク運動を考える会。 
54.2 古切手収集協力学校に図書券・感謝状贈呈。
54.3 アイバンク推進特別委員会関係、アイバンク全国大会。 パンフレット作製。 第2回アイバンク運動を考える会。 
54.4 日本キリスト教海外医療協力会へ古切手送付。 会員健康診断。 
54.5 植樹奉仕(物置建て、道具作り)。 植樹奉仕(白樺の根切り)。
54.6 献眼摘出お礼。 
ACT合計金額2,605,128円  労力368名 時間1,407.5時間 古切手255,161枚 献眼登録32名